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えんかすく

どうにかして生きていく

出来が悪い映像はいつまで「社会問題」と勘違いされる立場でいなきゃいけないのだろうか

ちょっと書く気がしたので書く。まあホットエントリにこいつが挟まっていた。

ninicosachico.hatenablog.com

取り上げられている動画がこちら。

 出来が悪い映像というのは世の中に結構あって、そういったものは批判されるべきだと思う。ただそれは映像表現の前進の為であって、ポリティカリコネクトネスの名前を借りたイデオロギー批判はいらない。

もちろん、社会と関わりがあるものなので、時代性だとか、そういう文脈で語られるのは良くわかるけれど、映像を取り上げて「その主張は余計なおせわじゃ」って、そりゃやり方を間違えてるよ。あくまで主張のみにフォーカスすべきで、映像はその主張が存在する証拠として取り上げるべきだ。また映像自体に文句があるというなら、「その主張をする場合どのようにして映像で表現すべきか」を考えるのが筋だ。どちらにも文句があるなら、それぞれ切りわけて取り上げよう。映像としての出来の悪さと社会問題を混同したり、取り違えるのはやめてほしい。

映像のダメめさ≠主張のダメさ

こういうことは今回だけでなくて、例えばウナギ少女や、オリンピック女子高生あとはブレンディの牛高校生だとか、探せばまだあると思う。

何故こんなことになるかといえば、そもそも、その映像の出来が悪いからだ。

人間、よくわからない不快感を覚えると、自分の得意とする分野で切ろうと考えてしまう。だから、女性問題が得意という人はそれを中心に語ってしまう。もちろん、2016年版のゴーストバスターズのようにアンチフェミという視点で切られてしまうこともある。どれにも当てはまるのは、実のところ彼らの主張は、映像のダメさより、イデオロギーのダメさに対してなので、映像文化に殆ど寄与しない。どころか、その映像をイデオロギーでしか語れないようにしてしまうという点において、悪影響を与えているイデオロギーしか問題がないように語られることで、映像の品質が取り上げられないのだ。

例えば、オリンピック女子高生は「47secondsのパクリ」だとか、「女子高生と渋谷って食傷×食傷でつらい」だとか、そんな文脈で批判されてもよかったのに、勝部先生がやんちゃしたせいで語られなくなってしまった。2016年版ゴーストバスターズはリスペクトの有無や、リブートがパロディ映画的なノリで作られることの是非について議論されるべきだと思うのだが、評論家はみな口をそろえて女性主人公がどうとかという話をしている。ウナギ少女の問題は「ボーイミーツガールに見せて、ウナギでした」という構成にも関わらず「『養って』といわれて学校のプールで養う」なんて無茶な展開用意してしまったという部分だ。しかし、その文脈で語られることはもうないだろう。いい迷惑だ。

東急電鉄のCMは何が悪いのか

それで、今回の場合は何が悪いのかという話だけれど、大きく分けて2点。

  1. 本来のターゲット層に響きにくい
  2. 女優の感情が分かりにくい

個別に見ていこう

1.本来のターゲット層に響きにくい

今回のCMの内容は「車内で化粧をするのは良い印象を与えない」である。だから当然ターゲットは「車内で化粧をするのを当たり前に行う人」になるわけだ。そこでCMの構成を見てみよう。

  1. 主人公が車内で座っている
  2. 女性が化粧をしている。ストレスを感じる主人公
  3. 余裕がないないダンスを踊る主人公
  4. 再び座っている主人公が映り、ダンスは主人公の妄想とわかる

なんじゃこりゃ。

主人公がマナーオナニーしてるだけじゃないか。この構成だと「『車内で化粧をするのは良い印象をあたえない』と思っているあなたはカッコいい」としか伝わらない。いや、主人公の妄想だったとオチが付くことで「カッコいい」も伝わり切らない。

何もない。このCMは結果的に何も生み出せてない。

こっちが頑張って相手の気持ちを察してあげなければならない。それも、マナーを守る自分カッコいいとか思っている奴の気持ちを。できるかそんなもの。

例えば、完全に思いつきだが、私が構成するなら

  1. 女性2人が車内で座席に座り喋りながら化粧をしている
  2. 近くにはお年寄りがいる。迷惑そうな乗客の顔
  3. 電車の揺れでアイライナーがずれる
  4. 「ずれてませんかその感覚」的なコピーを入れる

だとか、女優をいれねばならないなら

  1. 車内。主人公と化粧をしている女性が横並びに座っている
  2. 女性の肘が主人公にぶつかる
  3. 主人公妄想世界でルージュをひったくり、女性の顔に×を書く
  4. ビックリする女性、やりきった風の主人公

とかね。

いや、いま適当に考えたのだけれど、それでも「車内で化粧をするのは良い印象を与えない」というのは明瞭になったと思う。私が意識したところは、『化粧している女性が実際に迷惑をかけているところ』そして『女性が何かしらの恥をかくこと』の2点。後者はあった方が、というくらいだが、前者はこの手のCMでは必須じゃないだろうか。少なくとも今の構成は主人公の身体性に頼り過ぎだし、残念だけれど女優さんがそれに追いついてないです。

あと、あなたの変身する姿を見たくないというのに、実際に変身していく過程をちっとも見せないのは不味い。だから、最小限の変更を施すなら、化粧が半端で片目だけが大きいとか、”変身”途中で中途半端な状態を1カット入れるべきだろう。

2.女優の感情が伝わりにくい

まずそもそもカメラが主人公の顔をあまり映さない。ダンスを撮りたいというのは分かるけど、一番の表現物である顔が隠れるのはどうなのか。このCMで優先させるべきはダンスなのか表情なのかと聞かれれば表情になると思う。例えばスパイクジョーンズのKENZO Worldだって、ちゃんと表情が映るように考えられている。(ついでに動きもきれいに映るようにしてあるのだから偉い)

つーか電車内なら座席なり手すりなり、面白そうなオブジェクトがいっぱいあるのに何故使わないのか?ちょっと良くわからない。ま、座席に立って踊るのは文句付けられそうではあるが。

話を戻そう、とにかく表情をあまり映さない。だから、主人公がどれだけ怒っているか不快に思っているかが、まったく伝わってこない。こういうのって学校で教えてないのかな?

そのせいで、なんというか問題のCMは、能面女が急に「電車内で化粧するのってみっともないよね」とぼそっと言ったにすぎず、能面男の私が言うのもあれだが、顔色変えずにそういうことをいう人は不気味だと思う。

因みにこれは歩きスマホ編についての文句なのだが、歩きスマホ=前が見えなくて危ない、という話なのに、歩きスマホをする彼の前で踊らないのは明らかに演出ミスというか、そりゃ後ろでわちゃわちゃしてるだけなら、歩きスマホをせずとも気づかないよ。せっかく目の前で起こっていることに気づかないという面白状況があるのに、それをつかわないなんて、商品価値が低くないですか、このCM。ま、できてから言うのはフェアじゃないというのもありますが。

社会問題を取り上げても映像の質は上がらない

色々言ってきたけれど、ようするに映像として質の低い物を見せられているのだから不快に感じて当然だし、それについて文句をいう必要は、私はあると思う。地方CMのようにバジェット0みたいなものならともかく、それなりに予算のついたものなわけで、その商品(CM)の質が低いというのは、広告を発注したクライアントが損をしている形となる。それを広告を受ける私達がちゃんと伝えるべきなのだ。こんなのじゃ分かりづらい、不快だ、と。そんなところとは契約を打ち切れと。さらに、映像に文句をいうことは、あなたが今後、良くわからない不快感を感じないためでもある。このくらいの質ではブーイングが起こるとわからせれば、つまらない映像を見る機会は減るだろう。もちろん酷いクライアントにぶち当たってクオリティが下がることはあるし、それはしょうがないのだが、しかしそれはそれとして、作品自体は批評されなければならない。

そして、映像の質としての問題がまず語られ、それがクリアした場合に、その主張はPC的にどうなのかと考えられるべきなのだ。でないと、PC的に正しければいいという話になって、これは一見問題なさそうなのだが、正しく伝えるという点が欠けているので、結局完成した映像がPC的にアウトという可能性は十分にある。それだと意味がない。

だから、ともかく私たちは映像をもっと積極的に評価すべきだ。

これからクリエイターはどんどん増えていく、当然映像はごまんと増えていく。予算はそこまで膨れないだろうから、バジェットの格差は大きくなるだろう。何もせず、イデオロギーでものを語れば、つまらない映像、結果的に正しくない映像を作る人間が平然とのさばる世界になってしまうだろう。どんなにあなたたちが、イデオロギーを語れども映像は改善されない。映像表現をまず語るべきなのだ。そして、いいもの悪いもの、主観でいいので意識的に選んでいくべきだ。若しくは、ある表現が、こういう文脈で読み取ればすばらしいいというなら、積極的に批評していこう。表現が、模倣され、クリシェとなり、「当然」となっていくためには、まず、この観点で素晴らしいという評価が必要だ。

ちょっと最近、不勉強な人が多くて言葉狩りのようなことが起こりそうなのが、ちょっと怖いので言うだけ言ってみた。私は寝る。